ボランティア手記 ― Voice of Volunteers

67番目volunteer マリナさん 2018年 11月と  2019年 1月・67th Volunteer MARINA-san  November 2018 & January 2019

「人と向き合い、共に尽力していく。」その大切さを私はここで学ばせていただきました。1度しかない人生の中で、誰かのためにと、時間やお金を費やすことは簡単なことではありません。心のどこかでは思っていても、人は自分の人生を生きるので精一杯。それが普通だと思います。しかしそんな中、毎日毎日ただひたすら「目の前の誰かのために」と時間、お金、労力、全てを費やして生きていらっしゃる宮本さん。

 

「残りの人生、ただ楽しく生きるよりも、誰かのために使いたい」そう語りながら、活動へ励む姿には本当に感動するばかりでした。

 

そして戦争という私には想像しきれない頃の時代から今の今まで、誰かのためにと日々葛藤しながら活動を続ける姿に、心から尊敬します。

 

また、自ら現場に足を運び、現地の人や子どもたちに向き合うことを忘れず活動に向かう姿。現地の人と同じ目線に立ち、共に問題を解決しようという姿勢で活動に向かう姿。

 

宮本さんのもとで約1ヶ月過ごさせていただき、人と向き合うということの大切さ、相手と向き合うということはどういうことなのか、同じ目標に向かって共に歩んでいくことの大切さなど、本当に多くのことを学ぶことができました。

 

そして、一緒に行ったケアプログラムでは一緒に活動するスタッフや卒業生もまた、子どもたちのためにと真剣でした。生まれ育った環境や文化が違う人たちと、同じ目標に向かい頑張るための「熱量」をそろえるのは本当に難しいことだと思います。しかし、きっと宮本さんの強い想いは、常に彼らに伝わっているのだと身をもって感じることが出来ました。

 

ただ「支援する」のではなく、現地の人と同じ目線に立ち、共に問題に向き合い、共に尽力する。それが大切なのだと思います。

 

日本へ帰国し、就職活動など新たな壁が尽きませんが、宮本さんやキティグムの皆の頑張る姿を励みに頑張りたいです。そして私自身も、共に向き合うことを大切に、誰かのために動き続けることができるような人を目指して尽力していきたいです。

 

 まだまだ未熟ですが、このご縁への感謝を忘れずに、これからも私に出来る範囲で何か少しでも支えになれたらと思っています。


Reflections of a Volunteer

 

By Marina Takahashi

 

 

 

As a volunteer here I learned the importance of engaging with others and striving together with them. It is not a simple matter to devote time and money to others during ones one-and-only lifetime. Even if they would like to do so, most people are busy living their lives. But Miyamoto-san lives every day devoting all of her time, energy and money to others.

 

I was impressed by her endeavors and her desire to do something for others rather than just sitting back and enjoying the rest of her life. Since the time of the civil war, something I can hardly imagine, she has continued her efforts for others while often facing difficulties. I have great respect for her.

 

I was also impressed by her insistence on traveling to the homes of local families and engaging with them there. She tries to put herself in their shoes and work with them to solve problems. I learned a lot during the one month I worked with Miyamoto-san, including the importance of engaging with others, what this means, and the importance of striving together toward the same goal.

 

Miyamoto-sans staff members and graduates who conducted the care program with me were also devoted to the children. When working with people who were raised in a completely different environment and whose culture differs from yours, it is difficult to tackle the same goal with the same level of intensity. But I strongly sensed that Miyamoto-sans dedication comes across. It is important to not only support the local people but also to put yourself in their shoes and work hard to tackle problems together.

 

I will face many new obstacles when I return to Japan, such as finding a job, but I will be inspired by the dedication of Miyamoto-san and the people of Kitgum. And I will work hard to become a person who recognizes the importance of engaging with others and doing things for them.

 

I still have a lot to learn, but I will always be grateful for having had the opportunity to meet Miyamoto-san and would like to continue to offer support in whatever way I can.

 

 

 

GumAki 2014年9月~2014年12月

 9月末から12月まで、3か月程お手伝いさせていただきました。

 PRAfricaの活動には、2005年に当時駐在していた米国で同僚たちに募って本を集めて送って以来、少しずつ支援をさせていただいてきましたが、HPやmailを通して聞いているだけではやはり理解が及ばない現場の姿を見ることができました。日本の常識からすれば信じがたいことはいろいろありますが、内戦が去って、Kitgumは貧しいながら平和な田舎町になっています。内戦さなかの設立当時はいかばかりだったかと想像すると、ここまで活動を続けてこられた宮本さんに本当に敬服いたします。

 仕事は、図書館塾の子供たちに英語と算数を教えるほか、PRAfrica HPの改編やnet接続環境整備のお手伝い、何やかやの力仕事、etc.. いろいろやらせていただきました。子供たちは人なつこく、一生懸命なのですが、貧しいため学校に行けない子…家には紙切れ、鉛筆1本すら無い!…ばかりなので、アルファベット一文字一文字の書き方等、基本中の基本から教えていくのはなかなか大変。「おーい、いいかげんに覚えてくれよ…」と思ったことも何度も。教えた子たちの何人かが、PRAfricaの支援で、来年度から学校に行かれるようになる予定ですが、チャンスを活かし、道を拓いて行って欲しいものです。

 町が平和に落ち着いてきたので、今まで入っていた国連やその他NGOの活動も現地人に引き継ぐなどで撤退傾向になっています。最終的には、町やウガンダの国そのものを良くしていくのは結局彼ら自身であり、なかなかの多難を予想せざるをえませんが、PRAfrica図書館で学んだ経験が、子供たち自身の人生とこの町、地域、この国に生かされることを願ってやみません。

2005年に米国からカナダに本を送ったダンボール箱を図書館で発見。

ガバメントの都合による図書館の数度の引っ越しで中身は変わっているはずですが。

9年ぶりの対面で、「よくぞここまで旅してきたものよ…」と、個人的に感慨深いものがありました。

以下の星座の写真は、夜明け前

宿の近くで撮りました。


おおいぬ座と右下にカノープス。カノープスは日本からは地平線ぎりぎりになってなかなか見えません。
おおいぬ座と右下にカノープス。カノープスは日本からは地平線ぎりぎりになってなかなか見えません。
南十字星。 11月末には左に傾いて明け方に昇ってきます
南十字星。 11月末には左に傾いて明け方に昇ってきます

リョウコちゃん 2013年11月~2014年1月

 

本に触れること、色鉛筆を使えることが貴重だとか有難いことだと感じたことは今まで全くありませんでした。何時間もかけて本を読むため(色ぬりをするため!?)に裸足で歩いてくる子どもたちの姿は、物であふれかえった日本で贅沢な生活をしてきた私にとって、かなり衝撃的でした。図書館の中で飲食しないこと、順番に並ぶこと、次の利用者のため、本は元の場所に向きをそろえて戻すこと。当たり前だと思うようなことも、ここの子どもたちにとっては慣れていなくて難しいことのようです。騒いだり小さい子をいじめたり、間違ったことをした子どもを大声で叱ることに初めは疑問を感じました。怖がってもう来なくなるんじゃないかと思いましたが、生活に追われる親や保護者、学校ででさえも受けられないシツケをし、公共の場所でのルールを守り、周りや相手を見て考え、行動できる子どもを育てているんだなと感じるようになりました。事実ほとんどの子どもは叱られ、泣いても、また元気に通ってきます。数年間のご無沙汰の後、思い出したように戻ってくる子もたくさんいます。 ほとんどの子どもたちは絵を眺めているだけ、本を抱きしめたりしているだけ、隣の子の本をのぞきながら鼻歌をうたっているだけ、、ですが、この先もずっと子どもたちにとっての特別な空間であり、家庭や学校が出来ない教育の場であってほしいなぁと思います。この図書館で育つ子どもたちには得るものがたくさんあります。それを大人になっても忘れず、活かしていってほしいです。

 

ルイさん 2012年 7月~12月

 初めてのアフリカでの生活は、シンドイと思うことも、もちろんありましたが、図書館の活動は、いつもとても楽しく、有意義な日々でした。私には、こどもたちに伝えられること、教えられることも、特別ありませんでしたが、そんな私を信頼し、重要な仕事を任せていただいたこと、意見を取り入れて下さったこと、とても嬉しかったです。 そして、ヒョンな経緯から、出来上がってしまった(!)このホームページ!! PR Africaの歴史の1ページに私も、一つ形を残すことができたと思うと、とても嬉しいです。たくさんの思い出がありますが、中でも、DavidとWinnieのトラブルの時、二人と同じ目線で話をする宮本さんは、本当に素敵な“先生”だと思いました。 あの時のDavidの涙は、宮本さんの言葉が嬉しくて、あふれ出てきたものだったと、私は思っています。  

そしてもう一つ。初め、私は女の子を“特別扱い”することに違和感をぬぐえませんでした。しかし、宮本さんは、「日本など先進国の今の女性の立場は、私たちの先人、先輩たちが、勝ち取って来たもの、途上国の女性たちにも、そうなってほしい…」と話してくれました。  キトゥグムでの生活がなければ、私は、本当の意味で、その言葉の意味を理解することはできなかっただろうと思います。 ”図書館”という点、”小さなNGO” という点に魅かれ、PR Africaに参加することができたこと、その先で、宮本さんという、とってもパワフルで、愛情深い人に出会えたことに、心から感謝をしています。  これからも、微力ながら、PRAfricaを支える一人になりたいと思っています。  また、キトゥグムのこどもたち、皆さんに会える日を楽しみに、しばらく、日本で頑張ります!!  

 

 

ユキさん 2012年3月~4月と6月~7月

3~4月に2週間と6~7月に一ヵ月間のボランティアに参加したユキです。1回目は初めてのアフリカでのボランティアでしたので少し不安でしたが、現地での生活、ボランティア活動、どれも想像以上に楽しく刺激的なものでした。また、教育関係の仕事に携わっている者として、子供たちに本と触れ合う機会を提供する図書館の運営にも深く共感するところがありました。途上国の貧困を削減する対策として、改めて教育の重要性を痛感した2週間でした。2回目のボランティアでは、偶然にも私がずっと前から興味を持っていた「就学支援活動」をまさにスタートさせようとしているところでした。短い滞在中にその企画、運営に立ち会い、そして私も一人の女の子のスポンサーになることができたのは本当に幸運だったと思っています。一緒に制服を採寸しに行ったり、校長先生に挨拶に行ったりなど、母親体験もさせてもらいました。キトゥグムを離れてからもこの貴重な体験が、就学支援活動に少しでも役に立つのではないかと思い、現在支援者と子供たちをつなぐ手伝いをさせてもらっています。一人でも多くの方に支援を頂き、そして一人でも多くの子供たちが教育を受け、自立し、将来の夢を実現させられるよう願っています

アコさん 2012年2月~4月

こんにちは!55thボラの「アコさん」です。チガンダネームは「ナンタレ(ライオンの王様という意味です)」、アチョリネームは「アチーロ(レストランのお姉さんがつけてくれました)」の元JICAウガンダ(カンパラ)隊員です。私がPRAfricaでのボランティアに参加させていただいたのは20122月から4月の約2か月間。宮本さんとともにPRAfricaを立ち上げたマニーやその夫ジアン(すいませんスペルがわかりません!)、そして宮本さんとともに長距離バスで、パンクのトラブルも乗り越え、砂埃まみれで乾季の暑~Kitgumにやってきました。たった2か月でしたが、日本からのテレビ取材、governmentとの交渉、ジェネレーターの設置、図書館のアレンジ等色々なイベントに関わらせていただき、JICAでのボランティアで経験したウガンダとはまた違った顔を持ったウガンダも知ることができたのかなと思います。

あまりにも色々なことがあったので、「文章にまとめられな~!!」ので元ウガンダ隊員の私も「!」「?」と思ったことをリストアップして見ました。

・ホームステイ先の庭でサファリで見たような鳥が普通に外を歩いている(金属音のような鳴き声の鳥)

・乾燥した柑橘系の果物の皮を売っている(肉料理の時に使用するらしい)

・柿のお化けのような実のヤシ。中は全てオレンジ色の繊維で超固く食べられるシロモノではない。

・マンゴーの木

・小さいバナナ(カンパラではアメンブというのですが)の方が値段が高い。

1300シルのバナナ(これは大きいバナナ)3本買うと1000シルだった。

・アケヨという野菜()とカロと揚げキャッサバと塩茹でピーナッツがおいしい。

・入口では腰を曲げないと頭をぶつけてしまう村人手作りの学校。

・椰子の殻でできた赤ちゃん用の風よけ帽子。

・コットン畑。綿花にはトゲがいっぱいついているのです。

・カンパラよりも物価が高い。だけどホテルのソーダはカンパラよりも安い。そしてホテルの「野菜カレー」はトマトスープ(宮本さんはカレー粉を持参していた)

・蛇口から水が出たこと。

3日続けて夜電気がついていたこと(カンパラでも1日おき)

・枯草の平原が続く景色。ウガンダっぽくないです。

・パドロックをこじ開けた鍵屋のおじいさんの腕前。

・一度に60ℓを運ぶ水汲みのアチョリ女子の腕力と首の力(カンパラ女子よりも強し!)

などなど。

時折宮本さんが下さるメールに、ふとウガンダ、Kitgumを懐かしく思い出しています。日本の複雑怪奇な人間関係に最近少々食傷気味ですが(ウガンダの複雑怪奇な血縁関係も大混乱でしたが)、夜も物理的に明るい日本に感謝しつつ、再びKitgumPRAfricaの成長を見に行きたいなあ。 あっ、ちゃんとボラしますよ、もちろん!

マーちゃん 2010年10月~2011年1月

201010月~20111月 ボランティアに参加した、マーちゃんです。

 

3か月滞在して何ができたかと考えると「??」という感じですが、将来教師になろうとしている自分にとって大切なことを学ばせていただきました。

 

*図書館:当初は、図書館の意義など深く考えていませんでしたが、知識を得る場所としてだけでなく、勉強のできる場所、社会的なモラル(一列に並ぶ、横入りをしない、公共物を大切に扱うなど)を教える場としても大変重要な役割を果たしていると思いました。その土地に根付いて長い期間根気強く現地の人々と向き合える図書館の存在は有意義で地域全体の発展につながっていくと考えました。

 

*伝統、風習:女性の権利、地位の低さに驚きました。

男性は、同時に多数の妻、ガールフレンドを持てるのに、女性はダメ。

家事子育ては、全て女性の仕事。(私が見聞きし、知った限りでは)男性は、妻たちを手伝おうとすらしませんでした。

 多くの地元の人たちに、「なぜ、アチョリ(部族)の男と結婚しようと思わないのか?」と聞かれましたが、これ程まで、男優先、男尊女卑の固定観念が強いと、とても、そのようなことは考えられませんでした。

 

総じてKitgumでの生活は、「ありえない!アンビリーボー!!」の連続でしたが、PRAfricaの活動に参加できて本当に良かったと感謝しています。

 

ハルカさん 2011年6月~7月

20116月~7月 ボランティアに参加したハルカです。

 

首都カンパラ周辺で2か月過ごした後にキトゥグムに移りました。

中・南部での生活に慣れつつあった後、北部で生活できたことは、とても刺激的でした。

ウガンダという一国の中でも、人々の生活や考え方は大きく異なるということ感じました。

図書館での活動では、学費を払えず学校から追い返された子供たち、私が昼食用のスナック類を食べるのを、もの欲しげにジーっと見つめてくる子供たちなど、『貧困』を抱える多くの子ども達と出会いました。

そのような子どもたちが、「絵を描きたい、色鉛筆が使いたい」がため、図書館に通って、一生懸命に本を読む(挿絵を眺める?)姿は、私が当たり前に生きてきた世界とは大きく異なり、自分がいかに平和・裕福ボケしていたかと気づかされました。

また、ある孤児の女の子は、「図書館など行ったことがない所、知ってる人がいない所には、怖くて行かれない」といっていました。確かに、毎日大半の時間を家やその周辺で、家事手伝いで過ごす彼女たちにとっては、図書館など『未知』の世界、それに加え、外国人(日本人)がいる場所なんて、私が彼女たちでも、怖くて仕方ないでしょう。(笑)

それが男の子の利用者が圧倒的に多いという現状を生み出している原因の一つだと思いますが、今、図書館に来ている女の子たちは、そんな女の子たちの置かれている閉鎖的な状況を変えていくキーパーソンになりうるのではないかと思います。

彼女たちから利用者の輪が広がり、この図書館が、女の子でも、貧しくても平等に扱われ、受け入れられる、全ての子供たちにとって親しみのある場所であり続けてほしいと思います。

たくさんの場所を訪問でき、いろいろな人々に会え、お話をする機会を与えていただき、本当に感謝しています。